心停止した時の体験談
2015/5/22 に《心室細動》が起こり、心停止し、意識を取り戻すまでの体験談を書こうと思う。多くの人には無関係な体験談だが、それは、逆に「限った人にしか起こらない」ということなので、それなりに希少価値がある気もする。
《心室細動》は前触れ無く突然に
2015/5/22 仕事の休み時間中に記憶がぷっつりと途絶えた。 *1
僕は、2015年の4月から6月にかけて新入社員研修の講師を担当していた。
内容はITに関わること。例えばプログラミングやバージョン管理の方法、要件定義、詳細設計などソフトウェア開発に関する網羅的な内容について、新入社員向けの研修講師を担当していた。
そして、その日は、受講生がグループの分かれて開発演習に入る日だった。
午前中の演習の説明を終え、じゃあお昼取りましょう、という時に記憶が途絶えた。 それは《心室細動》によって心肺停止になったからだ。*2
蘇生後は薄気味悪い夢を見ているような感覚
後から聞いた話では、倒れてから二分後には AED で蘇生できたらしい。朦朧とする中でも、断片的にその時の記憶がある。なるべく当時の記憶そのままに、その様子を書いていこうと思う。
蘇生後はまるで薄気味悪い夢を見ているような感覚だった。 記憶がとびとびで、断片的にしか覚えていない。
……暗い、目をつぶってるので当然暗い。でもなぜだが、目を開けることはできない。 よくわからないけど、身体を動かす気になれない。周りで何かが起こっている気もするけど、思考するのもめんどくさい。
スーッとボリュームをだんだん大きくするみたいに、声が聞こえてくる。周りがうるさい。もっと寝ていたいんだけど。
キビキビとした男の人の声が聞こえる。複数人いるみたいだ。すごくざわざわしてる。 でも何言ってるかはわからない。なんとなく自分を呼んでる気がする。矢継ぎ早にいろいろな質問をしている気がする。機械の音も聞こえているような気もする。なんとなくだけど、僕の名前が呼ばれているような気がする。
そう、僕は「金城」と言います。「はい」と頷く。
ここでまた記憶は途切れている……。
……暗い。また目が開けられない。口元になにか邪魔なものがある。手も動かないので、頭を振って取ろうとしたら、まわりから、それを止める声が聞こえる。「はい」と返事をした。この時には女の人の声も聞こえてたような気がする。この時も周りに大勢の人がいるような気がした。なんだか声を出したかったので「う"う"う"う"」っていう感じの声を何度か出した。*3
……気が付くと、ベッドに横になっていた。なんとなく、薄暗いに部屋にいることがわかる。目がなんとなく見えている。何かの検査室にいるみたいだ。診察用の台に移された。身体にいろいろ器具をつけられる。なにか診察してるみたい。すぐに終わった。これで終わり?なんだかすごく眠いし、疲れたし、眠ろう。
……気が付くと、またベッドに横たわってた。今回は目が開く。男の人が横にいる。よくわからないけど、その場から離れるらしい。僕はなぜだか、不安にかられて、ナースコールを手に握らせてもらった。とにかく、これがあれば大丈夫だと思った。他に何も考えられない。なんだか眠い、寝る。また記憶が途切れる。
すごく長い時間が経ったような気がした。僕はここではっきりと意識を取り戻す
……また目が覚める。両親と妹と叔父が、僕が寝てるベッド横に立っていて、こちらを見ている。今回はなんだか意識がはっきりしている。会話ができる。どうやら病院にいるようだ。身体中に機械や点滴が取り付けられている。それらは特に気にならない。というか、気にするほど頭がまわらない。神妙な面持ちの両親の話を聞くと
「お弁当屋さんで倒れたんだよ。奇跡的に助かったんだよ。」
とのこと。そこで、今までのことが、何だったのか分かった。仕事の昼休みにお弁当屋で心室細動で倒れる。AED で蘇生した。それで救急車にのって、病院で処置をしてここに寝ている。
へーそうなんだ。特に何も感じない。いまいち実感がわかなかった。特に気分が悪いとか、頭が痛いとか、不調は感じなかった。
ほとんどの記憶がないので、空間的にここがどこの病院かもわからない。聞いた話もなかなか実感がわかない。俺が心室細動で倒れる?弁当屋に行った記憶はないけど?俺、弁当屋で倒れたの?なんで?なんでここにるの?これから俺はどうなるの?疑問が次々と湧いてくる。わけがわからない。そんなことあるの?自分が倒れて記憶なくて、病院とかありえるの?
時間を確認すると、その日の夕方になっていた。もっと長い時間を過ごした気がする。とてもハードな一日を過ごした気もする。すごく疲れてるんだ。それにとにかく眠い。重労働をやり終えた感覚だよ。これ以上あまり話をする気になれない。
「疲れたので眠る」
そう言ってまた眠ることにした。こうして、入院生活が始まることになる。
生死を分かつ体験をした
ここまでが倒れた時の記憶になる。今でも当時の記憶を思い出すと、すごく気味の悪い感じがする。あの暗いなかで、なんとなく遠くから声が聞こえる感じ。自分の思考力がない感じが今でも覚えている。
外から見てた人の話しによると、事の顛末はこうだ。
- 研修の昼休み入り、近くの弁当屋に移動
- 弁当屋で《心室細動》が起こり、気を失う
- 応急処置が出来る人がそばにいて、救急隊到着まで応急処置をしてくれた
- お弁当屋さんの目の前が消防署で、二分で救急隊が到着、すぐに蘇生処置が取られた
という具合である。僕の記憶は午前中の研修を終えたまでの記憶しかない。弁当屋に行った記憶はない。
応急処置をしてくれた人の話によると、僕は弁当屋の席についてから、ゆっくりと倒れたらしい。最初は何が起こっているかわからなかったが、明らかに顔色がおかしいことに気づいた。急いで誰かに救急車を呼んでもらうように頼んで、処置にあたったらしい。運良く弁当屋の目の前が消防署だったので、すぐに救急隊が駆けつけ、僅か2分という早さで蘇生処置を受けることができた。*4
もしも処置が遅れていたら、心停止によって、脳に血液が送られずに死んでいた。僕は自分でも気づかない内に死んでしまうところだった。
朦朧とする意識の中でも反応してた
一緒にいた後輩の話によると、蘇生後に家族に連絡をとるために、救急隊の人が僕の携帯をとって、僕に暗証番号を聞いたらしい。その時に記憶はないのだが、僕は携帯の暗証番号を4ケタ中3ケタまで言って最後の一桁は言わなかったらしい。残りの一桁は順番にやっていけば当たった。そこから携帯の連絡帳に入ってる「金城」という苗字の名前を上から順に読み上げる。そうして「この人はだれですか?」と僕に聞いて家族の連絡先を探したらしい。僕はほぼ全ての人を「おばあちゃん」と答えてたらしい。三途の川でも見ていたのだろうか。意識が朦朧として、あまりキチンと受け答えできなかったらしい。妹の名前にはキチンと答えられたみたいで、そこから家族に連絡ができた。*5
まとめ
これらが気を失ってから、意識取り戻すまでの流れになる。道中いろいろな人に助けられて、まさに命のバトンを繋いでもらった。感謝してもしきれない。今でも実感があるとは言い切れない。自分に命の危機が訪れてたとは到底思えないが、でも死がすぐそこにあったのだと考えると、ゾッとする。いつか死ぬということはわかっても、すぐ近くに実感するということは、やっぱりどこか違うものがある。
多分この体験は多くの人に伝えた方がいいんだろうと思っている。 ひとまず《心室細動》が起こるとどうなるか、書いてみた。 この後の入院生活の話は、『入院生活編』としてまた後日、別の記事とか書こうと思う。最後まで読んでくれてありがとう。
ハッカーズチャンプルーでの発表資料
退院当時の報告記事
入院後の話
*1:この話を人にするときに、よく聞かれるのは、「気分が悪かったりしたのか」とか、「日頃と違った違和感があったのか」ということだ。でも、そんなことは、まったくなかった。当日は一切の予兆もなく、健康診断での心電図も、正常と判断されている中での出来事だった。
*2:こう書くと、まるでプチっと記憶がなくなったように感じるが、実際にはそうではない。自分の眠る瞬間が確認できないように、記憶がなくなる瞬間は覚えていない。"気づいたら" 記憶がなくなってることを理解した。
*3:後から聞いたら、この時だいぶ暴れていたらしい。
*4:ここの奇跡っぷりに涙が出てくる。
*5:こう考えると、他にも記憶が吹き飛んでる間に、いろんなことがあったんだろう。